8月頭のI先生の診断。CTの画像に映った肝臓にあるいくつかの影を説明して見せてくれた後、真剣な表情でこちらを見ると、「心の準備をしてください。覚悟をしてください。」と切り出した。膵臓癌を根治するのは膵臓にある癌を取り除けた場合のみ、転移の場合は手術は出来ない、というところまでは分かっていたので、術後で膵臓に癌は無く肝臓への転移だけの場合も根治は難しいのだろうな思っていたが、現在の医療では根治出来ないという事を再確認した。
「ヒロさんと同様に術後に肝臓に転移をした患者さんで、患者さんの希望で転移した肝臓の癌を取る手術をした方がいましたが、その後再発しました。」膵臓癌は転移しやすく、転移した癌を取り除く手術をしても意味が無いという話は聞いていたので、これもやはりそうか、と再確認。
膵臓癌に使える抗癌剤は主に3種類だが、そのうちのTS1は術後服用したものの癌が再発したので効果は無いと判断。残る抗癌剤は2種類。ただ抗癌剤を使用しても癌細胞が抗癌剤に耐性を持ってしまい効果が出なくなる「不応」や副作用が厳しくて抗癌剤の継続が出来なくなる「不耐」が起きる。不応・不耐が起きその残り2種類の抗癌剤が使えなくなったら、遺伝子検査をして遺伝子治療の可能性を探る。それが駄目だったら色々な病院でやっている治験に参加する事を考える、と今後の治療のオプションに関しての説明があった。大体ネットで事前に調べていた内容通りだったので、やはりそうだったかと再確認。
余命宣告を受けるのかと思っていたのだが、「余命はどの位か全くわからない。 確かなのは食事が摂れなくなったら1ヶ月、一人でトイレに行けなくなったら1週間。」とのI先生の説明。
不応・不耐は平均してどの位で起きるものですかと質問したところ、人によって大きく違いがあるものの平均で一つの抗癌剤で不応・不耐が起きるのは半年との事。そうなると2つの抗癌剤で1年が平均。
こういう時に医師によっては余命1年という説明をしたりするのだろうなと思いながら、「I先生が過去担当した患者さんで私の様になった後で癌が消え完治した患者さんはいますか?」との質問への答えは「残念ながらいません。」との返事。
こうやって文章で書くととても冷徹な医師の言葉の様に聞こえるが、心優しいI先生がとても真剣な目つきで真摯に答えてくれている事が良くわかり、自分の置かれている状況をしっかりと飲み込めた。
もともと昨年12月膵臓癌ステージ4の可能性があると告知された時、5年生存率が1.5%前後しか無いがそれでも生き抜くと覚悟を決めていた。1.5%というのは単なる過去の平均値に過ぎない、やるべき事をしっかりとやれば生き抜く可能性は圧倒的に上がる、自分は大丈夫、と根拠も無い確信の元、膵臓癌を手術で取り除き根治を目指す膵臓癌との闘いを続けてきた。幸いな事に一度はステージ2Bとの判断で手術は出来たが、術後再発・転移で元のステージ4に戻っただけ。低い生存率だろうがもう一度生き抜くという覚悟をするだけだった。
「それでは、私が膵臓癌から完治した先生の最初の患者になりましょう。」
すっと言葉が口に出た。まだこの時には再発した癌に対してどういう考え方で立ち向かっていくか頭の整理は出来ていなかったが、癌に負けないという宣言だけはしておきたかった。
ただし、今度は今の医療では根治出来ない状態。これまでの様に単に癌と闘い癌を取り除くというのではなく、自己免疫を鍛える事で癌に静かにしていてもらい共存するという事を考えながら、あわよくば癌が自己免疫の力に負けて消えてくれるようにするというのが自分が目指すべき方針なのだろうと、I先生の説明を聞きながら考えていた。
私と一緒にI先生の話を聞いていた妻も非常に冷静だった。現代医療の常識では考えられない治癒をした人は大勢いる。私の場合は孫と会ったり旅行にいったりして幸せホルモンを大量に出す事で絶対元気になる。幸せホルモンを沢山出す生活して自己免疫を強化していこう。そうしているうちに新しい治療法が出てくるはずだ、というのが妻の意見だった。
とにかく心が癌に負ける事だけは避けようと思った。癌を恐れ、悩み、完治を目指して足掻き苦しむ時間を過ごすのは避けたい。逆に癌になった事でより、自分のやりたいサッカーを続ける為に筋肉トレーニングをやり、孫に会い、妻や子と旅行に行き、友人と楽しいひと時を過ごす事に時間を使おう。その時間の大事さを教えてくれた癌にありがとうと言ってやろう。今は標準治療を続けながら笑顔の日々を過ごす事で自己免疫を強化するので、そのうちに新しい治療法が出てきてさようならと言う時までしばらくは静かにしていてくれ。
私は笑顔で生き抜くと決めた。
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