I先生との診断の翌週から抗がん剤を始める事となった。術前に使用したのと同じゲムシタビン+アブラキサンの点滴。前回はそれほどきつい副作用は出なかったのが、前回は2か月間のみ。今回は出来るだけ長い間継続しないといけない長期戦なのだが、一体どの位続けられるのだろうか?ネットで調べると数年の間問題無く抗癌剤治療を継続している人もいるようなので、自分も何とかそうなりたいと願う。
長期戦を乗り切る為に考えたのが、効果がありそうな治療法はまとめてやるのでは無く一つ一つ効果を確認しながら試そうという方法。いくつかの治療法を同時に行う方が癌に効きそうな気もするが、どちらかと言うとそれは短期決戦のやり方。それほど多くの治療法の選択肢が無い状況では、出来るだけ時間をかけて一つ一つの方法を確認していくやり方が一番長期戦に適していると考えた。
具体的には7月ごろから友人に紹介してもらった漢方薬の服用を始めたのだが、抗癌剤の開始の前に服用を停止。まずは抗癌剤がどの程度効くのか確認し、抗癌剤での改善が見られなくなった時に漢方剤を始めとする別の療法を試すことにした。
もう一つ長期戦を乗り切る為に変えたのが、飲酒の開始。昨年8月に慢性膵炎と診断された時以降1年完全に禁酒しており、膵臓癌と分かった後手術して退院した時には医師からは飲酒は構わないと言われていた後も禁酒は続けていたのだが、これからは長期戦。楽しみの選択肢を増やす為にもお酒を楽しむことにした。ただ、私の膵臓癌の遠因の一つに間違い無く過去の過剰な飲酒があったと思われるので、妻と一緒に居る時、かつ、友人と一緒に居る時のみ飲んで良い事とし、8月頭の友人との夕食会の時に1年ぶりのお酒を楽しむ事が出来た。
抗がん剤治療開始の1週間前、つい思い立ち髪のブリーチと染色をする事とした。前回は抗癌剤治療開始の2-3週間後に脱毛したので、せめて髪の毛がある間に楽しもうと人生初の髪のブリーチと染色。本当はきらきらと光る銀色の髪にしたかったのだが、そうするためにはブリーチを何度か繰り返さないといけないとの事で、時間の無かった私はブリーチ1回した後に髪を銀色に染めた。暗いグレーといった感じの仕上がりだったが、本人的には大満足。
髪を銀色に染めた翌週、最初の抗癌剤点滴を行った翌日から息子夫婦とシンガポール旅行。手術の前の1月に息子夫婦が私と妻へ私の手術への元気づけと妻の還暦を祝っての熱海旅行をプレゼントしてくれたお返しに、8月ごろだったら癌治療はそろそろ終わるころだから今度は私がシンガポール旅行をプレゼントしようという事で計画していたものだったが、新たな癌の再発直後の旅となってしまったのは想定外。今度のシンガポール旅行もこれから始まる私の抗がん剤治療への元気づけの旅となった。
シンガポールは20年程前に家族全員で住んでいた街で、ほんの数日の滞在だったが懐かしい街や食べ親しんだ現地料理を楽しむ、とても楽しいひと時を過ごす事が出来た。特に私にとって楽しみだったのは、当時の仕事仲間が30名ほど私の為に集まってくれる事になっていた事。20数年ぶりにあった昔の仲間との再会はとても元気づけられた。私のFacebookの発信で皆私の膵臓癌の事は知っており、これまでコメントで元気づけてくれたり彼らが知る癌に効く食事等の情報を教えてくれたりした仲間たち。2時間ほどの会合の時間はあっという間に過ぎ、来年の再会を誓って別れたが、本当に友人のありがたみを感じたひと時だった。
シンガポールでのもう一つの楽しみが、私が膵臓癌になった直後に応援のメッセージをくれた膵臓癌サバイバーの方との再会。20数年前に仕事の上でお付き合いのあった方だが、私が膵臓癌になったと聞いた途端に長文のメッセージを送ってくれ、その内容が私の膵臓癌との付き合い方の方向性を決めてくれた女性。ご本人は膵臓癌を抗癌剤治療だけで治されたのだが、私へのメッセージの中は、「とにかくポジティブでいる事が大事。よく食べてよく眠って、なにより好きな事をして毎日過ごすのが一番大事。 私は毎日ショッピングしたわ。それで副作用も起きなかった。後は家族と友人に祈ってもらいなさい。私も毎日あなたの回復を祈っています。」という内容で、その後も毎日の様に応援メッセージをくれた方。おいしいシンガポールのシーフードを御馳走になり、楽しいひと時を過ごす事が出来た。
シンガポールから帰国の翌週あたりから脱毛が始まり、せっかく染めた銀髪も抜け始め8月末までにはすっかりと寂しい頭になってしまったが、人生初の銀髪で楽しんだシンガポールの数日はとても楽しく記憶に残る旅行となった。
抗癌剤開始直前に行った血液検査では、腫瘍マーカーCA19-9は2,924まで上がっていたのだが、帰国後2度の点滴を終えた後に行った抗癌剤1クール後の血液検査では440まで低減。
抗癌剤とシンガポール旅行は、癌の抑制に効いてくれたようだった。
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